2012-03-21

自分の国が偉大だから自分も偉大であるというバカげた考え

米大統領選の共和党候補者選びで、思ったよりも健闘しているロン・ポール爺さん。

そのポール議員のマニフェスト本の翻訳、
『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ-リバタリアン政治宣言-』
(副島種彦 監修・訳/佐藤研一郎・訳 成甲書房)
というのを読んでみました。(このタイトルがびみょー)


書評はアマゾンあたりで見てください。これからの政治はどうしたらいんだろ?くらいの
ことを考えている方なら、どんな立場の人にとっても興味深いでしょう。
アメリカの話ですけど。

日本人には何で?って思う、「国民皆保険制度に保守派はなぜ反対するのか?
ということについて、その理由がよくわかります。
ウォール街占拠デモを見て、「あれ?アメリカで格差に反対するデモ?格差を容認する
社会じゃなかったけ?」という条件反射をしがちだけど、これを読むと、あれは
こんなのは俺たちのアメリカじゃない!」という叫びだったんだと理解できます。
(階級闘争的な人もいるようだが、保守派やリバタリアンも入ってる)

ま、書評はさておき、面白いところがあったんです。

現代アメリカの「帝国主義」を著者は批判しているのですが、その文中で
フェリックス・モーリー(1894-1982) の『自由と連邦主義』(1959)を引用しています。

この中でモーリーはまず、ヒトラーの演説の一節、
 強力な中央政府は、他国の自由だけでなく、個人の自由も少なからず侵害する。
 もし国民がそのような方策が自分の国を強くすると考えるのであれば、帝国の
 野望を抑えることなく、政府が喜んでその役割を引き受けるだろう
というのを引いて、次のように分析しています。

(以下、翻訳本文から引用)
言い方を換えれば、帝国建設の問題は基本的に曖昧なのである。
自分の国が偉大だから自分も偉大であるという考えを、人々に植えつけ育て
なくてはならないのである。例えば、単に自国が他の国よりも強力だからという
理由で、「ドイツ人はベルギー人より優秀だ。英国人はアイルランド人より優秀だ。
アメリカ人はメキシコ人よりも優秀だ」と洗脳するのである。
そして、個人としての名声や器量を持たない人々は、喜々としてこのような
馬鹿げた話に飛びつくのである。それは本人が努力をしないで、自分に対する
自信を与えてくれるからである。
(引用終わり)

最後のところがキツいっすね。

しかし、これは世の中に不遇、または自分は不遇だと感じている人間が増えれば
増えるほど、国権拡大のチャンスだということが言えます。
洗脳されやすい人間(=支持者)を獲得しやすいんですから。
実際、ナチスはボロボロのドイツの誇りを取り戻すと見せることで政権を合法的に
獲得したことは言わずもがな、です。

一方で「お前は不遇だ!被害者なんだぞ!おまけに何もできないときもんだ!」
という洗脳プロパガンダもあるわけです。そして、
「このすばらしい国家や民族がガンガンやって、お前らの誇りも取り戻すぞ!」
と続いていくと・・・

こうなってくると、共産主義であってもこういうのアリなわけで、
(※「国家や民族」の部分が、「労働者や革命」に変わる)
要するに国家がその支配を膨張させる必要に迫られたとき、支配者が国民を
動員していくためにどのような手を使うのか、というひとつの典型例を示しています。

自分の誇りは、自立した一人の大人として自分の手で作り上げましょう。
と言って済みゃあ簡単なんだけど、そうはいかないんだよなぁ
やっぱW杯サッカーとかで熱くなっちゃうもんねぇ。

リバタリアニズムをじゃまするものは、国家への愛着・・・と言った先生がいたな。
ま、たしかに。
でも、「国」と「支配機構」を分離して考えるようになれれば、いいのかな?
いや、それじゃダメか、やっぱ・・・難しいですな。


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