2011-08-24

韓流偏向を批判するヒマあったら

1967年生まれの私にとって、バブル崩壊までの約25年ほどの日本は、
昨日まであこがれてたモノが、次々にニョキニョキと自生するがごとくに
目の前に出現し、発展して、豊かになって世界のTOPに駆け上らんとする
ギラギラした国だった。

失われた最初の10年、1990年代に入ると、それまでなかった物があらわれた。
それは「リバイバル」
60~70年代のヒーローものや特撮ものの再販、リメイクにはじまり、
インダストリアルデザインにもノスタルジックなテイストが採用されたり
昔を懐かしむ感じの映画やら小説やらコミックやら・・・今や定番のひとつ。

後ろ振り返らなかった日本人が、前に進むのに疲れたのかという気がした。
(右肩上がり成長神話の終わり)

さて失われた次の10年にやってきたのは「韓流」だった。

あまりにも韓国の役者やらアイドルが次々と芸能界にはびこってるので、
辟易した人たちが「偏向だ!」と、その傾向が特に顕著なテレビ局の前で
デモまでやったんだとか。

それを見て思ったのは、

隣に目もくれずに突っ走っていた日本人が、やたらとその隣が視界に入って
くるんでウザがったり、抜かれそうな気がして怖がったりしてるんだな、と。
(アジアにおける唯一の先進国という地位の喪失)

もう、日本には隣と後ろしか、目の行き場がなくなってしまったのだ。
未来とか、発展とか、成長とか、そういうのは今の日本にはもうないんだ。
・・・まあ、ないよなぁ普通に世の中見てれば、村上龍に言われなくてもわかる。

相変わらず、この国はたんまりとおカネを持ったままだ。
高い技術力やノウハウもまだ十分に持ってるのに、挑戦する心がない。

過去とは違う未知の世界に、リスクを恐れず踏み出す勇気がない。
(高度に複雑化した世間に、たったひとりで埋没するしかないから)

本質的な問題を思考する力もなく、根本的な問題の解決能力もない。
(当然だ、そんなものはこの国では一生教えないから)

かろうじて、それらを持つ人は、もうこの国の政治とか社会とは最低限の付き
合いだけにして、ビジネスの世界でひとり成功を目指すのみ。

韓流偏向抗議デモを見て、ひとつ私が断言できることは、
こんなデモやっても、参加者が望むものは何も得られない。ハッキリ言って
無駄な努力。それか、休日のレクリエーション。
それはなぜか、まず絶対に行動の方向が間違っているから。

韓国産コンテンツがなんでそんなに嫌いなのか、本質的な理由を考えなくては
何を行動しても空振りにしかならないのだ。
(もちろん、電通の陰謀だーとか、韓国の文化侵略だーとか、そういうのは
事実かどうかとは無関係に、本質とは言わない。)






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